Travel to Arizona 16.

『ゴルフショップオカムラのピンUSA本社取材旅行記 その16』

【ピンが誇る『ゴールドパタールーム』とは?】
さて、今回の旅のメインイベントと言っても過言ではないのが、
『ゴールドパタールームの見学』です。

この部屋のことをご存知無い方のために説明させて頂きますと、
まず、ピンでは自社パターを使って大会を制したプロのために、
全く同じスペックで作った金のパターをプレゼントしていました。
(メジャー大会の優勝パターは18金、その他の大会は金メッキ)

このゴールドパター、1本は優勝したプロにプレゼントし、
もう1本はピン本社に保管していたのですが、
徐々に数が増えてきたため専用の部屋を一つ設けることになりました。
それがピンの『ゴールドパタールーム』です(1975年に作られたと言われています)。

ピンパターが初優勝した1962年から時は流れ、
現在(2015年)では数千本のゴールドパターが保管されています。
厳しいセキュリティが施されたドアの奥には、ピンの歴史そのものがあるのです。

ちなみに、ゴールドパタールームに入るドア手前には小部屋があり、
デスクとPCが置かれていました(上の一連の写真が小部屋内の写真です)。
もしかしたらここの管理専任の方がいるのかもしれませんね。




【岡村社長、ついに憧れのゴールドパタールームへ!】
それではゴールドパタールームに入ってみましょう。
ドアは暗証番号式の厳重なロックで、まるで銀行の金庫のようなハンドル付きでした。

ズズズ…という重い音と共にゆっくり開くドア。
ご覧の通り非常に厚く、端にはかんぬきのようなものも見えます。

部屋の中に入ると一瞬目がチカチカしました。
写真だとちょっとわかりにくいですが、
全てのパターが光を反射しているのでそれはもう凄い明るさです。

ゴールドパタールームの中で立ち尽くす岡村社長。
ここにあるパター全てに様々なエピソードが詰まっているのです。
栄光を掴み、ゴールドパターを手にしたプロもいれば、
あと1打というところで涙を呑んだプロもいたことでしょう。

そんなゴルフの歴史、ピンの歴史の中枢とも言える場所に入ることができ、
社長はもちろん管理人も感無量でした。




【保管されているゴールドパター(の一部)をご紹介!】
そんなゴールドパタールームに保管されている大量のパター、
その一部を個別にご紹介していこうと思います。

まずは欧州シニアツアーの優勝者『ゴードン・J・ブランド』のゴールドパターです。
使用パターはどちらも『Doc15』だったようですね。
彼は一時ピンの契約プロだったこともあるのか、
画像検索するとピンの帽子をかぶった写真が数多く出てきます。

ちなみに1986年の全英オープンで2位に入っていますので、
当時テレビで彼の姿を見たことがある方もいるかもしれません。
欧州ツアーでは1勝しか挙げていませんが、
シニアツアーでは5勝という遅咲きのプロでした。


さて、続いては…

2010年のPGAツアー「ターニングストーン・リゾート選手権」で優勝した、
ビル・ランディのゴールドパターです。

JASパターの『クレイジー・モーメント』というモデルなんですが、
発売当時は割と高価で、ピンに詳しい方や通の方が選ぶパターといった感じでしたね。
全優勝記録を把握しているわけではないので適当なことは言えませんが、
彼の勝利がこのモデル初の優勝記録だったかと思います。


お次はピンの契約プロの中でもやや変わったモデルを愛する、
マーク・ジェームスの優勝パターをずらずらっとどうぞ。
彼はヨーロッパツアー18勝、米欧シニアツアー5勝と素晴らしい実績のプレイヤーです。
「ちょい悪オヤジ」ことヒメネスと同じく、髭が彼のチャームポイントですね。

まずは1995年のライダーカップ勝利時に使用していたこちらのパター。
ステンレス・スチールパター B90」です。
B90はピンの長尺パターで最も実績を挙げているモデルで、
2006年の全英女子オープンなどメジャーでの優勝実績もあります。
現在でも日本で継続販売されている貴重なステンレススチールパターですね。

こちらはJASパターの『クレイジー・ワン』(画質悪くてスミマセン)。
四角いパターの四隅にタングステンを埋め込んだ、
これでもかと言うほど慣性モーメントの大きいモデルです。
2007年の「アリアンツ選手権」優勝時に使用していました。

2005年「エースグループクラシック」優勝時には『Doc15』を使用。
彼は最終日に66をマークし見事逆転優勝を果たしています。
ちなみにこれは彼のチャンピオンズツアー(米国シニア)2勝目でした。

そしてこれがとっておき。ゴールドではなくシルバーの『Zero3(リンク先はZero2)』です。
「え?シルバーパターなんてあるの?」と驚かれた方も多いと思いますが、
実はあるんです。そもそも最初はピンパターを使って優勝したプロに対し、
ピカピカに磨き上げたパターをプレゼントしていたらしいんですね。

それが徐々にゴールドパターになっていったという経緯があるらしいのですが、
希望するプロには当時のようにシルバーパターもプレゼントしていたようなんです。
(とはいえ純銀はすぐに黒ずんでしまうので、磨き上げたステンレススチールかなと…)
それが証拠に…

1984年の女子ドイツオープン優勝者ビヴァリー・ヒュークは『EYE52』を。

同じく1984年の「British Olivetti Tournament」優勝者である、
ジェニー・リー・スミスは『アンサー2』のシルバーパターを贈呈されています。


では昔の優勝パターは全てシルバーだったの?というと決してそうではなく、

今から50年前の1965年に「ケイジュンクラシック」で優勝したベイブ・ヒスキーは、
ゴールドの『ライト・イン(リンク先はライト・イン 5 BZ)』を贈呈されています。
ちなみに、記念すべきピンのツアー初優勝パターである『69』もゴールドですね。
古ければ全てシルバーか?というと全くそういうわけではないようです。

とはいえ、シルバーパターはゴールドパターに比べて圧倒的に数が少なく、
贈呈された経緯も明確ではないのでとても不思議な感じがしました。
いつもとは違う記念パターが欲しい!というプロにのみ贈呈していたのかもしれません。




【パターだけでなくアイアンやウェッジ類も!】
さて、今度はゴールドパタールームに保管されているアイアン・ウェッジ類です。

まずは2012年マスターズで惜しくも優勝を逃したルイ・ウェストヘーゼンの4番アイアン。
2番パー5でマスターズ史上初のアルバトロスを決めた『S56』です。

同じく2012年マスターズで林の中から起死回生の一打を放った
ババ・ワトソンの『ツアーWウェッジ』もこの部屋に保管されています。

こちらはマーク・カルカベッキアが1989年全英OPで使用していた『EYE2アイアン※1』。
前のページでも取り上げましたが、彼がこのEYE2で放ったショットは
この年のショット・オブ・ザ・イヤーに輝きました。

これはジェフ・マガートが1999年に開催された初めての世界ゴルフ選手権である、
「アンダーソンコンサルティング※2」で使用していた『EYE2アイアン』ですね。
調べてみましたが、なぜここにあるのかはわかりませんでした(^_^;)

こちらも前のページで取り上げたボブ・ツエーの『EYE2サンドウェッジ』。
ノーマンを下した1986年全米プロで大逆転のバンカーショットを放ったクラブです。

他にもこんなゴールドウェッジがありました。

1993年「メモリアル・トーナメント」で優勝したポール・エイジンガーのウェッジです。
独特なスイングと天才的なバンカーショットで有名な選手ですね。
動画がネット上にありましたのでご紹介します。



う〜む、この時に使っていたウェッジがピンのものだとは知りませんでした。
実は管理人、ゴールドパタールームに保管されているパター以外のクラブは、
ツエーのサンドウェッジくらいしか知らなかったんですよね。
(ババさんのウェッジやウェストヘーゼンのアイアンは別として)

なので、何本ものアイアンやウェッジがあったことに驚きました。
ピン創業から50年以上の間、様々な悲喜劇がこのゴールドパタールームに
収められ続けてきたんだなと実感しましたね。




【マニアックなパターも沢山ありました!】
さて、もう少しゴールドパターを紹介していきましょう。
さりげなくピンパターを愛用しているのがローラ・デービース。
最近こそ勝利に恵まれていませんが、欧州女子ツアー45勝、LPGAツアー20勝、
LPGAメジャー4勝のベテラン女子プロゴルファーですね。

まずはステンレススチールの『Zero4』。
まるでチッパーのような独特の形をしたモデルなんですが、
意外とプロには人気があったらしく、ゴールドパターも何本かありました。
1986年のスペインオープン優勝時に使用していたようです。

先ほど紹介したマーク・ジェームスの『Zero3』と違い、
こちらは何故かフェース面の溝が刻まれていませんでしたね。
金ぴかのパターに溝があると文字が読みにくくなるからでしょうか?

続いて隣にあったのは『Zero2』。
う〜む、このシリーズがこんなに優勝していたとは…正直驚きました。
先ほどと同じ1986年、グレーターマンチェスタートーナメントという大会で
優勝した際の使用モデルです。

フランジ後方が丸みを帯びている『Zero4』と異なり、
こちらはかなりシャープなデザインでどちらかというと『チッポ』に近いですね。
ちなみにZero1とZero4では…

ご覧の通り。結構印象が違います。

同じく1986年、デービースはまたも別なパターで優勝を飾ります。
1年に3本のパターを使って、その都度優勝するってちょっと凄いですね(^_^;)
このモデルはマンガン・ブロンズの『AYD』というモデル※3で、
管理人の知る限り最も小さく軽いピンのパターだと思います。

現在こそ日本では販売終了になってしまいましたが、
以前は取り寄せることができました。当時何本か販売した記憶がありますね。
それにしても、彼女が優勝時に使用していたピンパターを全て調べてみたくなるほど、
変わったパターが多いです。アンサーとか使用してたのか疑問に思えてきますね(笑)。


次はほんの1、2年くらい前まで当店に新品の在庫があった『O-Blade』。
ピンでは唯一といっても過言ではないT字型のパターです。

使用者はイーモン・ダーシーという日本では耳慣れない名前のプロ。
どうやら欧州男子ツアーで活躍したプロらしく、4勝を挙げています。
1991年の全英オープンでは5位に入賞しているようですね。

しかしこの「ムフリラオープン」はアフリカのザンビアで行われた大会らしく、
大会の詳細は流石に調べることができませんでした。
ただ、『O-Blade』自体は1970年代から愛用しているらしく、
当時の写真を幾つか見つけることができました。

1980年のカタログには既にこのモデルが載っていますから、
彼はかなり長いこと『O-Blade』を愛用し続けたということになりますね。
1976年から1984年にかけて10勝以上を挙げていますから、
探してみれば結構な数のゴールドパターを見つけられたことでしょう。




【ゴールドパタールームの見学を終えて】
ゴールドパタールーム入室から10数分ほどでしょうか。
「もっと見たい!もっと調べたい!」と思いつつも残念ながら時間切れ…。
短い時間ではありましたが、素晴らしい体験をさせて頂きました。

我々の想像を大きく超えるオーラが発散されていて、
見学中は終始圧倒されっぱなしでしたね。

しかし、想像を超える場所であるのも当然かもしれません。
ここにある数千本のパター全てに、悲喜こもごものドラマがあるわけですから。

…凄いパワーを感じる場所でした。
ここを見られただけでアメリカに来た甲斐がありましたね。









ゴールドパタールームを後にして外に出ると、自然の光がとても明るく感じました。

試打レンジの向こうにはアリゾナの荒々しい山々が見えますね。
なんだかこの風景に現実感を感じられず、ちょっとフワフワしていた気がします(笑)。

というわけで、情報の洪水に圧倒され続けたピン本社見学、初日はこれにて終了!
この後は軽くお土産屋さん(ピン社内にあります)などを見てホテルに戻り、
夜はアメリカらしくステーキディナーを楽しみましょうとのこと。

大変濃厚な1日でしたが、疲労しつつも充実感があり心地よかったです。
遠くアメリカまで来て良かったなと思える、そんな日でした。




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