Travel to Arizona 21.

『ゴルフショップオカムラのピンUSA本社取材旅行記 その21』

【フィッティングスタジオへ行く前に…】
カーステン氏の執務室を見学できて大満足の社長と管理人。
続いては本社直営のフィッティングスタジオを見学させてくれるそうです。

と、その前に、
我々のいるプレゼンルームに飾ってあったクラブをご紹介。
2015年当時の最新モデルが色々と展示されていましたが、
その中でも日本では発売されなかったアイテムをどうぞ。

まずはラプチャーフェアウェイウッドです。
こちらはスプーン(3番ウッド)のみの展開で、
アメリカでもあまり大々的には販売されませんでした。

かなりのハードスペックで、プロでも使っている人は少なかったようです。
ツアーの優勝実績も管理人が知る限り無いので、
かなりマニアックなアイテムであることは確かですね。


続いてラプチャードライビングアイアン。
これまたマニアックな、ティーショット用のアイアンです。
2番アイアンでロフトは18度。

管理人はこの日の午後に思いきりこのアイアンを試打させてもらいました。
打感が「モコッ」とした感じでちょっと変わっているんですが、
ドライビングアイアンとしては画期的に優しいクラブでしたね。


とまぁ、こんな写真を撮っているうちに「行くよ〜」と声がかかります。
社長はこのツアーに参加したピンの普及に積極的なショップの方と、
かなり熱心に話し込んでいました。

ラウンドテーブルで本社の方に色々意見をぶつけた直後だったので、
話しやすかったのかもしれませんね。




【いざ本社直営フィッティングスタジオへ!】
というわけで外に出てみると大雨!

アリゾナでこんなに雨が降るのは珍しいそうです。
フィッティングスタジオまでは200メートルくらいなんですが、
かなりの豪雨だったため車で移動することに(^_^;)


なんとか到着した本社直営フィッティングスタジオは、
木の風合いが優しいちょっとカントリーチックな建物でした。

中に入るとこんな可愛らしい手作り感溢れるオブジェがお出迎え。
ピンのロゴも初期のものですね。う〜ん、ちょっと欲しいです。






フィッティングは基本的に予約制になっているようですが、
このように空きを待っているお客様もいて割とゆるい感じ。
しかしアリゾナでは1月でも半袖短パンの人が沢山いましたね。

パッティンググリーンから受付方向を撮影。
左側に見えるのがフィッティングスペースになります。

現地の人に混じってパッティンググリーンで遊ぶ社長。
大勢で押しかけてしまって迷惑じゃないかなと思いましたが、
こういう風景も慣れっこなのか、現地のお客様は悠々としたものでした。

パッティンググリーンから受付方向を背にして撮影。
アメリカオリジナルのキャップ類がレイアウトされています。
壁掛けタイプのテレビにはピンのCMが流されているほか、
上の方にはピンの歴史をまとめたパネルが展示されていました。

創業者カーステン氏の人生をまとめた書籍、
「Karsten's Way」もさりげなく展示されており、
やはり創業者へのリスペクトは尽きないのだなと思いましたね。

当然ながらパッティンググリーンのそばにはパターが展示されているのですが、
やはりというかなんというか、左用の品揃えが半端なかったです。
現行モデルに関しては全て左用が普通に置いてありましたね。

こちらは入口そばにある鍵付きディスプレイボックスの中身です。
ピンの最初期のパター達の新聞広告でしょうか。
1-Aのほかに3-Aや69、MLTなどが掲載されています。

この頃のピンパターは全部で18モデル。
1A、2A、3A、4A、69、B69、69T、B68、69FT、B67、
69FTL、B66、69W、69BC、MLT、BLD、KUSHIN、CUSHINです。

ちなみにどのパターも当時は1本17.50ドルで販売。
一部のロングパターのみ少し高い価格で販売されていたようです。

また説明文を見る限り、
この頃から既に長さやライ角の調整はできたようですね。

マニアックな方のために、各モデルの説明文もアップでご紹介。
MLTが「Mallet」の略であるということは初めて知りました※1


これはピンの歴史の中でも最古の4本。
貴重な1950〜60年代当時の1A〜4Aの実物です。

こうして見ると各々特徴がありますね。
現在も継続して販売され続けているのは1Aのみですが、
やはりシンプルなものが残るべくして残ったという感じでしょうか。

こちらは当時のパターグリップです。
今に比べると統一性が無いというか、バラバラですね(^_^;)
ピンオリジナルなのは右から2番目のピストルグリップのみです。

奥に見えるのはカーステンさんが初めて掲載した自社パターの広告です。
ゴルフマガジン誌の1960年7月号に掲載されたとのことです。

当時は1A〜4Aの他に5Aも販売されていたんですね。
価格は17.5ドル。ここからピンの歴史が始まったのかと思うと、
ちょっと胸が熱くなるものがあります。

こちらも貴重な資料!
1968年の「ジ・アリゾナ リパブリック※2」の記事の写しです。

1956年当時、カーステンさんはまだGEの社員で、
ハンディキャップ18の平凡なゴルファーでした。

彼は少しでもゴルフが上手くなりたいと願い、
1Aという画期的なパターを作り上げます。

そのパターはボールをヒットするとまるで鈴のような
「PING!」
という音が鳴るパターでした。
その音色から彼は自分のパターを「PING」と名付けたのです。
(大体ここまでが記事の内容です。かなり端折ってますが)

彼が自分のパターを販売し始めたのは1959年で、
その頃は自分の家のガレージでパター作りをしていました。
1Aが誕生した後に2A、3A、4A、A5(5Aのことでしょう)、
そしてB5が生まれました。

そのB5が載っている当時のチラシの写しがこちら。

1A〜4Aまでが「トーションソールパター」、
A5とB5が「ホローソールパター」と呼ばれていたようです。

上にはヒール・トゥ・バランス理論をわかりやすく説明する、
簡単な図も描かれていました。



こちらも地元紙のコピーでしょうか。
若き日のカーステンさんとルイーズさん、
そして現会長のジョンさんが掲載されています。


こちらも大変有名な写真ですね。
1959年4月1日の記事だそうです。

いやはや、こういった資料がきちんと残っていて、
かつフィッティングスタジオのように一般のお客様が
沢山集まるところに展示してあるのは素晴らしいですね。
ブランドイメージアップに大きく貢献していると思います。




さて、こちらはフィッティングスペースです。


基本的な構造は日本と全く変わりませんが、
打席数は5〜6打席ほどあったと思います。

また取り揃えているシャフトの種類も桁違いです。
数が多すぎてグリップエンドに手書きですからね(^_^;)


当然在籍しているフィッターさんも大勢います!
皆さん真剣にフィッティング結果をPCに打ち込んでいました。

フィッティング自体は日本で受けるものとそう大差無いようでしたが、
スペースが大きく打席も多い分、気軽に来ることのできるイメージでしたね。



フィッティングスタジオの見学を終えて出てみると、
既に雨は上がって一部青空も。
暑すぎず寒すぎずのちょうどいい天気になっていました。
この写真を撮った直後、すぐ右を見てみると…

「Karsten Way」の看板が。
もうかなり前に設置されたのでしょうか、既に色褪せてしまっています。
この看板を見て、カーステンさんがここフェニックスで
本当に愛されていたんだなということが伝わってきました。

そんな記念すべき看板の下でポーズをとる、 ピンのフィッティングスペシャリストYさん。
切ない気分が台無しです(笑)。




【アメリカらしくピザで昼食を…】

フィッティングスタジオの見学もこれにて終了。
ミーティングルームに戻りピザで軽く(?)昼食を済ませます。

これがまぁ、見た目どおりなかなかのボリューム。
アメリカの方って毎日こんなずっしりしたものを食べてるんでしょうか。
そりゃー日本人とは体格が違うはずだよなぁと思います。

ま、なんだかんだで美味しく頂いてしまう社長と管理人でした(笑)。
というわけで、次は現社長の社長室などがある本社ビルを見学です。
今まで見てきた建物とはちょっと趣が違い、洗練された雰囲気でしたよ。
なるべく早めに掲載しようと思いますので、楽しみにしていてくださいね。




ゴルフショップオカムラのピンUSA本社取材旅行記 その22へ→

このページについて呟く このページをフェイスブックで友達に紹介する